安達繭乾燥場

門標の写真
安達繭乾燥場の門標です。「山」に「光」の印は初代安達光蔵の紋章。当時は「やまみつ」の「安達まゆや」とも。

ボイラー設置工事

繭乾燥場の心臓部とも言うべき、ボイラーの設置工事のスナップです。上に乗っかっている人からボイラーの大きさが分かると思いますが、昭和30年代当時では、山形の片田舎にしてはかなり大規模な設備でした。写真のボイラー本体の外側に外殻部分(二〜三層の?)を取り付け、更に外枠などを増設し、無数のパイプが配管されますので、かなり大きなものでした。小学生当時の私は秘密基地気分で遊んでよく怒られたものでした。
ボイラー設置工事の写真

繭乾燥場入り口

繭乾燥場入り口の写真
安達繭乾燥場の入口門柱です。左側は煙突二本が出ていますが工場ではありません。恥ずかしながら、これが安達家の母屋で、兄である当社社長も、私もここで育ちました。ちなみに画像左端の女性は、当社女将、つまり私共の母です。工場はこの門柱に隠れた右側でした。
当時としては貴重なカラー写真です。いまだ汚れなきかわいい頃の当社社長と、美しく(?)若き大女将の、貴重なるツーショットです。後方に続く建物が繭乾燥工場です。
繭乾燥場入り口のカラー写真

二階繭投入口

二階繭投入口の写真
養蚕農家から集められた繭は、繭袋に入れられて乾燥場に集められます。集った繭袋はリフトに乗せられて工場の二階へと運ばれます。
二階に上げられた繭袋は、二階の三角状スリバチ口にどんどん投入され、その下を動く広いベルトコンベアーに乗せられます。真っ白い繭の山の上で人が作業しているように見えますが、これは投入口に溢れかえった繭を、専用のスコップでかきながら、ベルトコンベアーに繭を流している作業風景です。こうしてベルトコンベアーに乗せられた繭は、工場の乾燥釜の中を何度も行ったり来たりして、カラカラに乾燥させられるのです。
ベルトコンベアーに繭を流している写真

繭出口

繭出口の写真
分かりやすい写真が残っていなかったので、こんなのですいません。右端中断やや下に白いのが出てきているのがわかると思います。これが、乾燥処理された繭がベルトコンベアーに乗って出てきた所です。これらの繭は次に細長いベルトコンベアーに落ちて搬出用の大きな袋に詰め替えられます。左側に人が立っていて、その前に大きな袋が口を広げて立っていますが、そこにどんどん乾繭が運ばれて詰められていきます。

乾繭搬出

乾繭は人の背丈ほどもある大きな繭袋に詰められて、全国の契約製糸工場に送られます。大きな袋でも乾燥処理の終わった繭は重さが半分以下になるので、ガサの割りには重くありません。当時の国鉄(現JR)のコンテナ貨車に乗せて出荷したのですが、先代の父いわく、昭和30年代から40年代当時の全盛時で、国鉄貨物輸送量は山形県内の個人企業でナンバーワンだった時もあったとか…。すごい時代もあったんですね。
乾繭搬出の写真
乾繭搬出別角度の写真
上と同じ時に別角度から撮影したようですね。工場の上の煙突が、昔の手塚治漫画を彷彿とさせるスタイルで、時代を感じさせます。